のれんが日本国内で使われ始めたのは、平安時代末期頃で庶民の暮らす町家などの軒先に吊るしていたのを当時の絵画からも知ることが可能です。
平安時代末期は貴族社会から武家社会に移行する頃ですが、当時流行していたのは怨霊の文化で祟りを恐れ、政情不安の一因になっていたのは事実です。
平安時代には陰陽道の思想が根強くあり、その陰陽道の思想の根底には悪霊の侵入を防ぐ間仕切りを設けることに他ならなかったわけです。
もっとものれんは、空間を分けるのに有効的に作用していたのも事実で間を作る働きも存在しています。
つまり間仕切りが存在すれば、悪霊も容易に侵入することができず、侵入できなければ祟りに遭遇することがないと信じられ、のれんが庶民まで広がっていたのも事実です。
一方ではのれんには機能面でも優れた良さが存在し、暑い時期に直射日光を防いだり、寒い時期には風や埃を遮ったり、人の目を遮る目隠しの効果もあります。
また和式建築では仕切りが存在しないので、のれんを利用することで空間を自由に仕切ることも容易です。
暖簾を使用して空間を区切ること
暖簾は最初は悪霊を寄せ付けない結界の働きが重視されていましたが、時代が経過するごとに機能性面をより重視した形で用いられています。
特に商家での利用が著しく、見た目の装飾も華やかなにすることで多くのお客さんを集める上でも活用されていったことも確かです。
暖簾が吊り下げられていれば営業を行っていることが容易に解り、しかも目印の役割を果たすことにもなったので必要不可欠なものとして意識されております。
もっとも長屋暮らしの中では、広々で風が吹き抜ける空間が当然でしたが、家族が多人数で暮らす中でもプライベートを確保をしたい必要性が生じることもあります。
その場合は暖簾は間仕切りで利用されることも多く、空間を仕切る上でも重宝されています。
暖簾では結界を作ったり、人を集めるための目印にしたり、仕切りにしたりするなど利便性にも優れていることから、貴族から商人・庶民の生活でも根付いたアイテムであったことは確かです。